朝に読むか、寝る前に読むか
どちらにも古い伝統があり、どちらにも実際的な理由があります。ただ、結果を決めているのは時間帯ではありません。
これはよく聞かれる質問で、たいていうっすらと道徳的な色がついています。朝に読むほうが真面目で、夜に読むのは次善である、というような。
実際には、どちらにも古い伝統があり、どちらにも実際的な理由があります。そして結果をいちばん左右する要因は、時間帯とはあまり関係がありません。
先に断っておきます。このページは睡眠や気分や健康の話をしません。どの時間帯に読むとよく眠れるとか一日がうまくいくとかいう主張はしませんし、それは軽々しく約束してよいことでもありません。ここで扱うのは段取りだけです。引用は King James Version(パブリックドメイン)を英語のまま挙げ、意味は日本語で説明します。
伝統は、両方を取っている
歴史から統一見解を探そうとすると当てが外れます。歴史が返してくる答えは「どちらも」です。
定められた時刻
修道生活では長らく、一日に何度も定まった時刻の祈りが行われ、そのたびに詩編と聖書日課が唱えられてきました。宗教改革以後、いくつかの伝統はこれを朝の祈りと夕の祈りの二回に圧縮し、この「朝夕二回」という枠組みは今も広く使われています。ただし、時期や会則によって回数も呼び名も一致しておらず、史料のあいだにも食い違いがあります。どれか一つの版を唯一の標準と思わないほうが正確です。
「寝るときも、起きるときも」
申命記6:7 は、これらの言葉について家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも語りなさい、と述べます。この一文自体が一日の両端を含んでいて、のちにユダヤ教の伝統で朝夕に唱える根拠のひとつにもなりました。
夜の時間
詩編119:148 は "Mine eyes prevent the night watches, that I might meditate in thy word." ——夜回りの交代より先に目を開いて、あなたの言葉を思いめぐらす、というほどの意味です。ここでの prevent は「先んじる」で、現代英語の「妨げる」ではありません。詩編にはこの手の夜の箇所がいくつもあり、予定された日課というより、眠れずにいる時間の描写のように読めます。
つまり伝統が渡してくるのは時間帯ではなく、もっと広い言い方です。朝でもよく、夜でもよく、夜中に目が覚めているならそれでもよい。
朝に読む理由
- その一日がまだ何も要求してきていない。夜は突発的な用事に押しのけられますが、朝はふつう押しのけられません。
- 注意力は消耗します。夜になると、「読み込める」種類の注意力は使い切っていることが多い。
- 朝に読んだものは、その日ずっと横にあります。関係のない時間にふと戻ってきます。
- 固定しやすい。起きるという動作はもともとそこにあるので、その後ろにつなぐほうが、夜に安定した場所を見つけるより簡単です。
寝る前に読む理由
- その一日はもう起きてしまっている。読んだものが、具体的な出来事の上に落ちます。まだ始まっていない空白の上に落ちるのとは、思っている以上に違います。
- 夜のほうが静かで、次の予定が待っていないことが多い。朝は途中で出かける羽目になりがちです。
- 朝がもともと慌ただしい人が無理に押し込むと、毎朝失敗する項目が一つ増えるだけになります。
- 少し長めの段落は夜のほうが読める人が多い。調子がいいからではなく、時計を見なくて済むからです。
時間帯より効く方法
時刻に固定するのではなく、もともと毎日やっている動作の後ろにつなぐことです。
時刻は簡単に壊れます。出張、当直、子ども、時差——どれ一つ取っても「朝七時」は成立しなくなります。ところが「歯を磨き終えたら」「座って最初の一口を飲むときに」「布団に入って携帯を置く前に」といった動作は、ほぼ毎日起きるうえに時計の影響を受けません。習慣は時刻より動作に掛けたほうが頑丈です。
もうひとつ小さな工夫を。やりたい量より小さく決めてください。「一節開く」は「二十分読む」より生き延びます。そして一節読むと、たいていそのまま先に進みます。逆は成り立ちません。大きすぎる約束は、一度飛ばすと戻りにくい。
両方に置く、という古い形
どうしても一つ勧めるなら、朝は少なく、夜は多く。
朝は一節だけ、起きたあとの何かの動作につないでおく。夜は一段落——一章か、朝の一節が入っていたその章を丸ごと。これはちょうど朝夕の祈りという枠組みがやっていることで、両方の利点を取れます。朝の一回はほぼ押しのけられず、夜の一回は長く読める。
必須ではありません。一日一回でまったく十分ですし、二回のほうが功徳が多いということもありません。
よくある状況
- 朝はどうしても間に合わない:張り合わないでください。主要な一回を夜に置き、朝は一節だけ残します。
- 夜は疲れて頭に入らない:長いほうを朝か週末に移し、夜は一節だけにします。
- 生活時間が不規則(交代勤務、育児、時差):時刻は完全にあきらめて、動作にだけ掛ける。どの起床を「朝」と呼んでもかまいません。
- 通勤中:多くの人にとって一日で唯一安定した時間です。使う価値があります。電車の中で長い段落は読めないので、一節がちょうどいい。
- 思い出したときに読む:これも立派な段取りで、思われているより機能します。伝統にある「いつも思いめぐらす」という読み方は、そもそも時計に従っていません。
Glow の立ち位置
はっきり書いておくべきことが一つあります。Glow はいかなる時刻にも通知を出しません。設定で切ってあるのではなく、通知という機能自体がアプリに入っていません。ですから時間帯は完全にあなたが決めることですし、「まだ読んでいません」と告げる赤い印もありません。
形としては、上に書いた「朝は一節、夜は一章」に素直に合います。一画面に一節なので、しばらく眺めていてもいい。きちんと読みたくなったら聖書全巻がアプリの中にあり、マイページから入れます。通信はしません。読み上げもあるので、夜に目が疲れているときには実際に助かります。
マイページには、開いた日を記録するマス目の並びがあります。記録するだけです。目標もバッジもなく、途切れても失うものはなく、そのことについて何か言ってくることもありません。これは意図的です。催促できる道具は、そのまま人に負い目を持たせられる道具でもあって、このことで負い目を持つべき人はいません。
よくある質問
聖書は朝と夜、どちらに読むべきですか
伝統は両方を取っています。修道生活の定時の祈り、のちの朝夕の祈り、申命記6:7 の「寝るときも起きるときも」、詩編の夜の箇所。朝の利点はその一日がまだ時間と注意力を奪っていないこと、夜の利点はその一日がもう起きていて読んだものが落ちる場所があることです。結果を決めるのは、続けられるかどうかです。
一日二回読む必要はありますか
ありません。ただ「朝は一節、夜は一章」という組み合わせはよくできていて、朝夕の祈りという枠組みがやっていたこととほぼ同じです。一日一回で十分です。
どうしても続きません
掛ける場所が違うことが多いです。時刻ではなく、毎日必ずやっている動作の後ろにつないでください——歯を磨いたら、座ったら、布団に入ったら。そして一回の量を、やりたいより小さく決めます。一節で十分です。飛ばした日は埋め合わせずに、次からそのまま続けます。
読む時間帯は睡眠や気分に影響しますか
このページはその種の主張をしません。扱っているのは続く段取りの話で、健康上の効果の話ではありません。それは軽々しく約束できることではないからです。
Glow は読む時間を知らせてくれますか
知らせません。通知機能そのものがアプリに入っていないので、時間帯は完全にあなたが決めますし、催促されることもありません。
一節だけ、まわりを空けて
Glow は画面に聖句をひとつだけ、静かに置きます。訳は King James Version、World English Bible、中国語の和合本から選べます。しばらく眺めても、読み上げさせても、手元に残しても、下に一行書いても、次へ送ってもかまいません。きちんと読みたい日のために聖書全巻もアプリの中にあります。無料、完全オフライン、アカウント不要、広告なし。