「今日の聖句」はどこから来たのか
毎朝ひとつ聖句が届くという形には、思っているより長い前史があります。聖書日課、時課、くじで選ばれる日々の言葉、日めくりのカレンダー、そしてアプリ。
朝、画面にひとつ聖句が出る。この形はスマートフォンが作ったもののように見えますが、実際にはかなり長い前史があります。そしてその前史を知ると、いま画面に出ているものが何であって何でないのかが、はっきりします。
このページは歴史の説明です。効能の主張はしませんし、どの方式が正しいかも言いません。史料の記述が食い違うところは、食い違うと書きます。引用は King James Version(パブリックドメイン)を英語のまま挙げ、意味は日本語で説明します。
決まった日に決まった箇所を読む、という発想
会堂の朗読と、教会暦の日課
あらかじめ決められた箇所を、決められた日に読む——この発想はキリスト教より古く、会堂での定期的な朗読の慣行に遡ります。キリスト教の側では、教会暦にそって一年をめぐる朗読の表が発達しました。これを聖書日課、レクショナリー(lectionary)と呼びます。
大事な点が二つあります。第一に、日課表は一つではありません。教派によって、また時代によって別々の表が使われてきました。二十世紀後半には複数の教派が共通して使える改訂共通聖書日課(Revised Common Lectionary)が編まれ、広く採用されましたが、これも全教会が従う唯一の表ではありません。第二に、日課の目的は「良い一句を届けること」ではなく、一年ないし数年で本文をひととおり巡ることです。だから慰めにならない箇所も、扱いにくい箇所も入ります。
時課の祈り
修道生活では、一日が複数の祈りの時刻に分けられ、そのたびに詩編と朗読が割り当てられていました。宗教改革以後、いくつかの伝統はこれを朝夕二回に圧縮します。ここでも要点は同じで、その日読むものは自分で選ぶのではなく、あらかじめ決まっています。回数や名称は時代と会則で一致しておらず、史料にも食い違いがあります。
くじで選ばれる「日々の言葉」
今日のアプリにいちばん形が近い先祖は、おそらくモラヴィア兄弟団の『ローズンゲン』(Losungen、日本語では「日々の聖句」「日々の言葉」などと訳されます)です。十八世紀前半のヘルンフートの共同体で、その日の一句を選んで伝える慣行として始まり、以後ほぼ途切れずに毎年刊行されてきました。
特徴的なのは選び方です。旧約の句をくじで引き、そこに新約の句などを組み合わせる、という手順が長く用いられてきました。つまり「その日にふさわしい句を人が選ぶ」のではなく、選択から人の判断をできるだけ外そうとしている。
ここは正直に書いておきます。開始の年、最初の形、くじの具体的な手続きについては、資料によって記述に幅があります。細部を断定的に書いている読み物は多いのですが、そのまま受け取らないほうが無難です。
紙の時代の「今日の聖句」
- 日めくりや壁掛けの聖句カレンダー。一日一枚めくると一句が出る、という形は、いまの画面の直系の先祖です。
- 小さな箱に丸めた聖句の紙片を入れておき、一枚引く「約束の箱」。家庭で広く使われました。
- 教会や団体が配る、月ごとの聖句カード。
- 新聞や会報の片隅に載る一句。
- のちにメールで届く一日一句のリスト。アプリはここから移っただけとも言えます。
つまり「毎日ひとつ届く」という形式そのものは、少なくとも二百年以上前からある形式で、スマートフォンはその配達手段を替えただけです。
アプリの「今日の聖句」は、日課とは別物
ここがこのページでいちばん実用的な点です。
アプリで表示される「今日の聖句」の多くは、聖書日課ではありません。あらかじめ選ばれた句の集まりから出しているのが普通で、その集まりは人が選んでいます。日課が「本文を一巡すること」を目的にしているのに対し、こちらは「一句として成立すること」を条件に選ばれています。
その条件は、選ばれる句の性質を決めます。
- 切り出して意味が通る句が選ばれます。前後がないと成り立たない句は、ほぼ入りません。
- 励ましや慰めに寄ります。呪いの詩編も、系図も、祭儀規定も、ふつうは来ません。
- 短い句が有利です。長い議論は一句に収まらないからです。
- 有名な句が繰り返されがちです。
これは欠陥というより設計です。ただ、そこから受け取る聖書は、実際の聖書より滑らかで温かいものになります。それが唯一の接点である場合、部分的な像を受け取っていて、しかもそのことに気づけません。日課がわざわざ扱いにくい箇所を含めるのは、まさにそこを避けるためです。
どう使い分けるか
- 一句が届くのは接点として使う。その日に一つ、本文に触れる入口。
- 気になった句は、その場で章を開く。これだけで、選ばれた句の偏りをかなり打ち消せます。
- 本文を一巡したいなら、日課表か通読の順序を使う。届く一句では一巡しません。
- 同じ句に数日留まってもかまいません。むしろ古い実践はそちらに近い。
- 扱いにくい箇所に自分から行く時間を、ときどき取る。届く句は連れて行ってくれません。
Glow の場合
正直に書きます。Glow に出てくる句も、聖書日課ではありません。あらかじめ選ばれた句の集まりから出しています。ですからここまで書いてきた偏りは、そのまま当てはまります。
それに対してしているのは、戸を開けておくことです。聖書全巻がアプリの中に入っていて、マイページから入れるので、一句から章へ、章から書へ、そのまま進めます。届く一句は入口であって、囲いではない、という設計です。通信はしませんし、アカウントも要りません。
それから、Glow は通知を出しません。「今日の聖句」という形式のいちばん厄介なところは、届くこと自体が催促になりうる点ですが、このアプリは何かを送る手段を持っていないので、開くかどうかは完全にあなたの側にあります。
よくある質問
「今日の聖句」はどうやって選ばれているのですか
アプリの場合、多くはあらかじめ人が選んだ句の集まりから出ています。教会の聖書日課(レクショナリー)とは別物で、日課が本文を一巡することを目的にしているのに対し、こちらは一句として成立することを条件に選ばれています。
レクショナリー(聖書日課)とは何ですか
教会暦にそって、決まった日に決まった箇所を読むための表です。一つではなく、教派や時代によって別々の表が使われてきました。二十世紀後半には複数教派で共通に使える改訂共通聖書日課が編まれましたが、これも唯一の表ではありません。
ローズンゲンとは何ですか
モラヴィア兄弟団が毎年刊行してきた日々の聖句集です。十八世紀前半に始まり、旧約の句をくじで引く手順が長く用いられてきました。ただし開始年や初期の形、くじの具体的な手続きについては資料によって記述に幅があります。
毎日届く一句だけで聖書を読んだことになりますか
なりません。届く句は切り出して意味が通る、励ましに寄った短い句に偏るため、そこから受け取る聖書は実際より滑らかで温かいものになります。本文を一巡したいなら日課表か通読の順序を使うことになります。
Glow の聖句は聖書日課ですか
違います。あらかじめ選ばれた句の集まりから出しています。そのぶん、気になった句からその章をそのまま開けるようにしてあり、聖書全巻がアプリの中に入っています。
一節だけ、まわりを空けて
Glow は画面に聖句をひとつだけ、静かに置きます。訳は King James Version、World English Bible、中国語の和合本から選べます。しばらく眺めても、読み上げさせても、手元に残しても、下に一行書いても、次へ送ってもかまいません。きちんと読みたい日のために聖書全巻もアプリの中にあります。無料、完全オフライン、アカウント不要、広告なし。